スペシャル対談!
『サムライ・アベンジャー/復讐剣 盲狼』光武蔵人監督
VS
『ゴスロリ処刑人』小原剛監督
『ゴスロリ処刑人』 『サムライ・アベンジャー/復讐剣 盲狼』

妻子を殺され、自らも盲目となったひとりの男が、盲目の剣士“盲狼”となり復讐のため立ち上がる『サムライ・アベンジャー/復讐剣 盲狼』。自身のバックグラウンドを吐き出して、“ごった煮チャンバラ映画”をアメリカで撮った光武蔵人監督。

母親を殺害された心優しき少女が、敵を討つため漆黒のゴスロリドレスに身を包み、非情な復讐鬼と化す『ゴスロリ処刑人』。アクション監督として培ってきた経験を生かして、“自らが理想とするアクション”にチャレンジした小原剛監督。

まるで異なる道を歩んできた両雄だが、両作とも愛する者を殺され、悲しみを背負った主人公が、怨敵を闇に葬るために死闘を繰り広げる復讐劇で、サムライ、ゴスロリという日本独自の文化を取り入れた、血しぶき飛び散るエクストリーム・バイオレンス・アクションだ。
この近からず、遠からずの距離感が面白いうえ、世代も一緒。ということで「エンタメ〜テレ 最新映画ナビ」では、光武蔵人監督、小原剛監督の対談をセット。表現方法は違えども、共通項を多分に持つ両監督が対面したとき、一体どんな化学反応が生まれたのか?それは日本映画界を、いや、日本経済を救うかもしれないヒントだった!?

−最初に、今までの経歴を教えて下さい。

■光武:高校生の時に渡米して、映画学科の大学、大学院を卒業しました。映画に関する初めての仕事は、DVDの特典映像でしたね。その後はテレビ番組やCMディレクターを経て、2004年に『モンスターズ』で長編映画監督デビューしました。今回の『サムライ・アベンジャー/復讐剣 盲狼』が長編第2作目になるのですが、その前に清水崇監督の『呪怨/パンデミック』(06)や落合正幸監督の『シャッター』(08)といった日本人監督のハリウッド作品に、アシスタントとして入らせて頂きました。あと役者として、「アグリー・ベティ」や「HEROES/ヒーローズ」シーズン2といったテレビドラマに出演しています。

■小原:中学、高校と器械体操をやっていまして、その経験を生かしてスタントマンとしてこの業界に入りました。小さい頃からジャッキー・チェンが好きで、香港スタイルのアクションに憧れて、その思いが高じて、アクション監督もやるようになりました。今までの撮影スタイルとは違うアクションをコーディネートしていくうちに、自分が理想とするアクションが撮りたくなって、2008年の『芸者VS忍者』で長編映画監督デビューさせてもらいました。『ゴスロリ処刑人』が長編2作目です。




【光武蔵人監督 プロフィール】
1973年、東京都出身。1990年、単身アメリカの高校へ留学。サンフランシスコ芸術大学を経て、カリフォルニア芸術大学にて学士号を、同大学院にて修士号を取得。在学中に映画監督・岡本喜八の通訳を経験し、その人柄と作品に魅了され、以後、師として仰ぐ。
卒業後は、ラインプロデューサーとして『ラッシュアワー』『ロスト・イン・スペース』などのDVD映像特典制作に参加。
その後、東映作品『燃ゆるとき』でラインプロデューサーを、『呪怨/パンデミック』で清水崇監督の、『シャッター』で落合正幸監督のアシスタントを務めた。2004年、長編初監督作『モンスターズ』を発表。2007年にDVDが日本でリリースされた。『サムライ・アベンジャー/復讐剣 盲狼』は長編映画第二作目で、主演も務めている。
俳優としてはエージェントにスカウトされ、米ABCネットワークの人気ドラマ「アグリー・ベティ」シーズン1第4話で全米テレビデビュー。2008年には米NBCネットワークの大ヒットテレビシリーズ「HEROES/ヒーローズ」シーズン2に、悪役“白髭(White Beard)“として3話に渡り出演した。米国映画俳優協会(SAG)所属。
【小原剛監督 プロフィール】
1975年、東京都出身。10代からスタントマンとして活動。映画、TV、CM、GAMEなど数々の現場を経験し、03年『サバイバル自衛隊 SO SOLDIER』で初のアクション監督を務める。
以降アクション監督として『ホーリーランド』(05)、『DEATH TRANCE』(06)、『ライオン丸G』(06)、『エリートヤンキー三郎』(07)、『お姉チャンバラ』(08)、『真・三國無双 MULTI RAID2』(10)といったアクション演出を重視した作品を手がける一方で、映画製作も積極的に手がけ始める。07年に映像製作会社OHARA BROS.を設立。映画監督デビューは『芸者vs忍者』。
斬新かつ迫力のアクションシーンを演出し、国内のみならず海外でも高い評価を得ている。『ゴスロリ処刑人』は長編映画第二作目。